樋口晶之さんの訃報が入ってきました…

 

最近はこういった話が続きますよね…

 

小林麻央さんから始まって、投手コーチだった森慎二さん、監督だった上田利治さん。

それそれの死因については、発表されていますが樋口晶之さんだけ明らかにされていませんので、経歴やプロフィールと一緒にちょっと調べてみました!

 

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樋口晶之さんの死因とは何?

 

63歳という若さで亡くなった樋口晶之さん。

日本人の男性の平均寿命は約80歳と言われています。

 

それをはるかに下回り、まだまだ人生これからなのに悲しい話です…

 

ですが、以前から病気を患っていたそうなので仕方のないことだったのかもしれませんね。

しかも入院中だったというのです。

 

で、命を落とすきっかけとなった原因はなんだったのかというと、現在のところ明らかになっていません。

 

しかし、この年齢で病気で入院していたなんてことを考えると『がん』だったのでは?と真っ先に頭の中をよぎってしまいました。

 

今年の9月には大阪のビルボードで行われるライブへの出演も決まっていただけに残念です…

フェイスブックを見てみると、ファンの人は楽しみにしていた人も多かったようですし…

 

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樋口晶之さんの経歴とプロフィールについて

 

いきなりの訃報を聞いても、最近の人は知らない人も多いかと思うので(これを書いている私もですが)ちょっと経歴とプロフィールについてまとめてみました。

 

生年月日 1954年2月24日
出身地 愛知県名古屋市
職業 ドラマー

引用:wikipedia

もっとも有名なのが『クリエイション』というバンドでのドラムとしての活動!

1970〜80年代に大活躍したロックバンドらしいです(私はまだ生まれて間もないので存じ上げません)

 

特に有名な曲は米プロレス兄弟『ザ・ファンクス』の入場曲『スピニング・トー・ホールド』が有名とのこと。

 

他にはロンリー・ハートなんかがよく知られています。

 
こんなアルバムを出したりしていました。
 

 

 

しかし、クリエイションには途中参加だったようです。と言うかもともとはブルースクリエイションというバンド。

 

そこに田代信一さんがドラムとして活動していたのですが、1971年に樋口晶之さんに変更されたとのこと。

 

そして解散した後は『クリエイション』を結成。

冒頭で述べた名曲を発売し、1970〜80年代の音楽業界を盛り上げることに。

 

名曲を生み出した後、樋口晶之さんは『夏木マリさん』らとGIBIER du MARIを結成していたこともあるそうな。

他にもザ・ゴールデン・カップスなどといったバンドのサポートや音楽の専門学校である『アン・ミュージック・スクール』でも講師をしていたみたい。

 

今年の4月に行われた原宿のクロコダイルでもライブを行っていたみたいですが、体の方は大丈夫だったんでしょうか…

 

おわりに

 

63歳という若さで亡くなった樋口晶之さん。

通夜は7日に、葬儀・告別式は8日、11:00から東京・セレモニー目黒で行われるとのこと。

 

ご冥福をお祈りします。

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